言わなくてもいいことを,言わないでいる技術。

言わなくてもいいことをしゃべり,自分の価値を下げる人は多い。

まさに,「覆水盆に返らず」

政治家,芸能人だけでなく,友人,いや,そもそもあなた自身が,言わなくてもいいことを言ってしまう人かもしれない。

 

言わなくてもいいことをしゃべるタイプの人はおおきくわけて5種類いるそうだ。

自信過剰型,瞬間湯沸かし器型,八方美人型,饒舌型,うっかり型だ。

自信過剰型は,断定的な物言いが多かったり,相手の発言をさえぎったりする。

瞬間湯沸かし器型は,自分の気分が悪いときに暴言を吐いてしまったり,弱みをつかれると、カッとなってしまう。

八方美人型は,いつもは相手の話に合わせているが,リラックスすると,警戒心がゆるんで思ったことをそのまま口にしてしまったり,人前で話すと,アガって失言が飛び出しやすかったりする。

饒舌型は,知っていることはすぐに口に出して喋ってしまったり,おだてにのって,いい気分で喋ったりしてしまう。 

うっかり型は,思いつくと、よく考えないで喋り出してしまったり,その場をとりなおそうとして,結局余計なことを言ってしまう。

これは,現実の言動だけでなく,SNS上での発言も含まれる。
酔った勢いで,変なことをTwitter上に書き込んでしまって,信用を落としたり,他人を傷つけたりする。

その人の人となりというのは,大体その人の話す内容で伝わってくるのだ。
だから,話す内容に「言わなくてもいいこと」を盛り込んで話す人は信用されないし,好かれないだろう。

自分がどのタイプであるかをきちんと認識し,
言わなくてもいいことを言わないでいる技術を身に着けることは大切だ。

私自身にそう言い聞かせつつ,この技術をきちんと身に着けて,日常生活で実行していきたく思う。

あなたの話し方はなぜ相手を怒らせるのか

あなたの話し方はなぜ相手を怒らせるのか

  • 作者: 植西聰,しりあがり寿
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/02/16
  • メディア: 単行本
  •  

物そのものの価値に対する考え方。

今日は,私の「物そのものの価値に対する考え方」について書いてみよう。

まず,物の価値には大きく分けて「表面的な物の価値」「内面的な物の価値」の二つあると思っている。

 

 

「表面的な物の価値」とは,その物が高級ブランド品である,有名なデザイナーが作った,等々の誰から見ても分かるような金額,他人軸で決まる価値である。

「内面的な物の価値」とは,自分にとってその物が使えるか?使えないか?誰から見ても分かるわけではない,自分軸で決まる価値である。

 

物を買うときに,そのものが「高級ブランド品である」とか,「有名なデザイナーが作ったものである」とか,「安いから」,「見た目が良かった」,誰から見ても分かるような金額面,他人軸で判断する人は多い。

 

しかし当たり前のことだが,大切なのは,その物を使う自分自身なのである
ブランド品とか,値段ばかりを考え,「自分にとって必要であり,自分にとってその物が使える物か?使えない物か?」をきちんと自分軸で判断できずに買い物をしていると,いつまでも本当に自分にとって必要なものや使えるものは手に入りません。だから,結果として,満たされません。

 

昨日書いたブログ,[物の片づけに対する価値観と考え方]

において,「すっきりと片付けることで,快適に暮らす」と書いたが,

「快適に暮らす」を達成するには,「すっきりと片付ける」と同時に,必要以上に家の中に物が入ってこないようにすることも大切です。

そして,その物が必要かどうか,使えるかどうかの価値判断は,「表面的」に考えるのではなく,「内面的」に行う。

つまり,自分軸で決定された価値基準によってなされるべきであります。

それはもちろん,あなたの人生は,あなたの人生であり,誰かの代わりを生きるために存在する人生ではないからです。その物が必要かどうか,使えるかどうかの価値判断を他人軸で行っていては,あなたの人生をあなた自身が生きていることにはならなくなってしまいます。

あなたの人生をあなた自身が生きていくためには,「表面的な物の価値」にとらわれて「内面的な物の価値」を見失ってはいないか?を今一度考えるべきかもしれない。

まずは,物そのものの価値に対する考え方を,他人軸から自分軸へ。

物の片づけに対する価値観と考え方。

価値観
何に価値があると認めるかに関する考え方。
価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となるものの見方。
ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。
Wikipediaより)

人々の抱いている価値観が多様であることは自明の理だ。
こと,「物の片づけに対する価値観」は多岐にわたるうえに生活に直結する価値観である。

すっきりと片付いたほうが良い,物が少ないほうがいい」と考える人もいれば,
物はたくさん持っていたい,物は多ければ多いほうがいい」と考える人もいる。
親子間で物の片づけに対する価値観が大きく異なると悲劇である。

親が必要だと思う物でも,子供にとってはゴミにしかみえない。ということになる。

そうなると子どもは積極的に,親の物の片付けようとするのですが,親に抵抗され,往々にして捨てられず,(捨てさせてもらえず) 片付きません。

そして挙句の果て,喧嘩になる。

「どうせ使わないんでしょ」「どうせ着ないじゃん」「センスが悪い」「古い」「物が多すぎ」「いつか使うっていつ使うのさ?」「なんでこんなものとっておくの!」

 

物の片づけに対する価値観が異なることは,思想的な価値観よりも表面化しやすく問題を起こしやすいのだ。

これはひとえに,子どもが「すっきりと片付いた方が良い,物が少ないほうがいい」という価値観の人が多く,
親は「物はたくさん持っていたい,物は多ければ多いほうがいい」という価値観の人が多いからに他ならない。

 

物の片づけに対する価値観の形成には,時代背景の関与するところが大きい。
親世代は,物不足の中,もったいない文化で育ったことにより,物を捨てることに対しての罪悪感を強く抱きがちであり,
「物をどんどん捨ててしまうと,自分自身のアイデンティティまで失ってしまうのではないか。」と危機感を覚える人もいるそうだ。
また,「余生を今までの人生を振り返りながら思い出のモノに囲まれていたい。」と願う気持ちもそこに介在している。
こうゆうようなことを,念頭に置く必要があるでしょう。

親子間のみならず,兄弟間,親族間,友人間で物に対する価値観においても,同じようなことが言えるでしょう。

趣味の物,好きな物,その人にとって必要な物......

 

まず,物の片付けに対する価値観が違うことを認めることから始めなければなりません。
「すっきりと片付いたほうが良い」と思っても,人の物を勝手に捨ててはいけません。
相手の意思を尊重して物を片付けるということが極めて重要です。
そうゆう過程を経て,「片付いた方が快適に暮らせる」ということを相手に理解してもらえるように努めるべきでしょう。

 

目的は「すっきりと片付けること」ではなく,「片付いたことで快適に暮らす」ということである。
すなわち,「すっきりと片付けること」は「片付いたことで快適に暮らす」という目的を達成するための手段に過ぎないのです。

 

生きる時間に比例して思い出と物が増えていくもの。
しかし,それに引き替え、体力は落ちていく。
片付けるべき時には片付けられなくなっている可能性がある。

 

「物はたくさん持っていたい人」でも,日頃から,「必要な物」「必要でない物」を区別するスキルぐらいはきちんと身につける必要がある。
物の片づけに対する価値観を明確にすることは,日々の生活を良くしていく上でとても大切だ。

アイドルという宗教を信仰するということ。

私は,乃木坂46というアイドルグループが好きだ。

アイドルとは,偶像であり信仰そのものである。

私は,乃木坂46オタクなので,乃木坂46という宗教を信仰している信者だ。
そして,私は「アイドル」という宗教の信仰を極めて肯定的に考えている。

なぜ、私がこう考えるに至ったのか?その理由を書いていこうと思う。

 

 

結論から言うと,

人間には魂の救済が必要だと感じるからである。

人は、「心の拠り所を,絶えず探している生き物」である。
心の拠り所とは、「心の支えになったり、それを守るために頑張ろうと思える存在」のことだ。
一般的に言われている心の拠り所は,恋人,友人,家族,仕事などのことだろう。
ただ,それでは満たされない人も多くいる。
そういう満たされない人の心の拠り所となるのがアイドル,アニメやゲームである。(他には,買い物とか,他者批判とかがありますね。)

 

よく言われるアイドルに夢中になる心理には,「快楽的欲求を満たすため」というものがある。
たしかに,そういった気持ちが全くないとは言い切れないかもしれないし,それを否定はしない。
しかし私は,アイドルに夢中になる心理は,「快楽的な欲求を満たすため」というよりも,

「かわいい女の子たちを見て,幸せな気持ちになる。」
「生きる気力がわいてくる。」
「応援してる子から元気を貰う。」という

『その子を純粋に応援し,愛する』という行為によって,精神的な幸福感を満たしたい気持ちの方が,多くを占めているように感じているのだ。

 

以前,私は,アイドルに夢中になるのは,疲れているとき,特に心が弱っている時だと書いた。

当時,私自身,学業とアルバイトが辛く,人間関係も上手くいかずで,精神的に追い込まれているときに,乃木坂46に出会い,魂が救われ,そこから乃木坂オタクとなった。
とは、「人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在」のことであり
救い(救済)とは、「現世(この世)における悲惨な状態が宗教にすがることで解消または改善されること」を意味している。
「心の拠り所」とは、言い換えれば魂の救済そのものである。
私は,アイドルが心の拠り所となったことで,幸福を感じるようになった。

つまり,アイドルを愛することには,魂を救済する力があるといえるのだ。

 

特に,アイドルのダンスパフォーマンス観たり,アイドルソングを聞いたりすることには,麻薬を使用したときのような効果があるのではないか。

 

私たちは,ふるい時代から,人々は唄や踊りに『救い』を求めてきた。
時代とともに,雅楽や神楽,民謡,童謡,唱歌,子守歌,演歌,歌謡曲などさまざまな歌や踊りが生まれてきたという歴史が,それを物語っている。
昨今の音楽チャートを坂道グループや、ジャニーズが占めているのは,もちろん,握手券商法、Type別商法により売り上げ枚数を稼いでいるからというのも強い影響があることだろう。それは否定しない。

ただ,本質的には,息苦しい社会や人間関係からの救済を求めている人が多く存在しているからだと思う。
人口減少が深刻化する日本において,自殺率は上昇しているという話をよく聞くがそれこそまさに,精神的に追い込まれて逃げ場がない人が増えている証拠である。

 

日本人は宗教に無関心だといわれるが,「アイドルやアニメキャラの○○ちゃんが好き。」とか「芸能人の○○さんが好き。推しです。」という,画面の向こう側の人への愛や信仰心を持つ人はたくさんいる。
日本人が,ここ数十年で、「宗教」と聞くと過敏に反応するようになっていまったのは,オウム真理教による「宗教=怖い」という認識が増えてしまったこと,金儲け主義の新興宗教が台頭したことによる「宗教=いかがわしいもの」とのイメージがついてしまったことの影響が大きい。

しかし,世界一古く長い歴史を持つ日本国において,人々の生活は宗教と共にあったではないか。精神的な救いを宗教に求めてきた過去があるではないか。
神道としてあがめる「神」、仏教の信仰対象として「仏」が,少しずつ形を変え,今では,アイドルやアニメキャラがその一翼を担うようになっただけのことではないのか。

何らおかしなことではない。

「宗教にすがることで魂を救済する」という原点に、ここで立ち返ってみようではないか。 

 

 

人は誰しも,誰かを応援する,愛することで自分を満たしたいという気持ちを持つ。
アイドルは,他者に応援される存在,愛される存在であることで,魂の救済をアイドルオタクにもたらしているのだ。
アイドルという宗教について深く理解すると,アイドルという存在を応援することは立派な「信仰のかたち」だと分かる。
だから私は,アイドルを信仰するという行為そのものが,とても高尚なことにさえ思えてくるのだ。

 

魂を救済する手段の一つとして,あなたもアイドルという宗教を信仰してみるのはいかがだろうか。

 

2017年の紅白歌合戦は極めて素晴らしかった。

楽しかった。面白かった。感動した。

こんなに優しく心温まる番組だったのか,紅白歌合戦は。

内村さんを総合司会に起用したことは,本当に良い決断だったんじゃないだろうか。
色々ごちゃごちゃとやったあとに,きっちりとまとめて安定感のある進行がされていて,安心して見れた。
誰かがボケても,内村さんがちゃんと突っ込んでくれていたからかな?
全体的に空気が柔らかいというか,優しい感じがしたのが良かったです。

紅組の司会,有村架純さん。白組の司会,二宮和也さん。

そして,総合司会の内村光良さん。

文句のつけようがありません。

 

そして,紅白ウラトークチャンネルのバナナマンさん
私は,紅白を録画している。
それは,生で見る時には副音声に切り替えてバナナマンのウラトークを聞きながら観て,その後でもう一回主音声で良かったところを観るため。
ウラトークは,私の好きなラジオ番組でもある「バナナマンバナナムーンGOLD」の紅白出張版みたいな感じですね。
バナナムーンリスナーだから,楽しめるのはもちろんなのですが,多分知らない人でも楽しいんじゃないかな?もう,説明できない笑
私は,ただただ楽しかったです。

 

2017年の紅白歌合戦は,

紅白歌合戦を,ただの歌番組としてではなく,

一つのエンターテインメントとして作り上げた。
ここが,2017年の紅白が楽しく,面白いものになった一番の決め手だった。

郷ひろみさんと登美丘高校ダンス部によるコラボ。
NHKの「LIFE!~人生に捧げるコント~」の登場人物の内村さん扮する三津谷寛治。
ブルゾンちえみ with Bとオースティン・マホーンのコラボ。
内村さんと欅坂46で不協和音のコラボ。
日村さん扮するヒム子と乃木坂46インフルエンサーのコラボ。
…などなど,非常に楽しく,面白かった。

 

2016年の紅白歌合戦も,タモリさんとマツコさんのミニコントみたいなのやったり,していた。
しかし,なんとなく観ている側が取り残されている感は否めなかったし,会場もなんだかつまらなそうな感じが伝わるシーンもあった。
最後の採点も何か腑に落ちない感じで頭に「?」が出たまま年を越してしまった。

 

2017年の紅白は,そういったものがほとんど感じられなかった。

ちょっと問題があったとするなら,欅坂の子が過呼吸で倒れてしまったことだろう。

先ほど欅坂46の公式Twitterを見たところ,大丈夫そうだったので良かった。

まあ本当に,楽しかったし,面白かった!

竹原ピストルさん,市川由紀乃さん,福山雅治さん,TOKIOさん,欅坂46Perfumeさん,X JAPANさん,エレファントカシマシさん,星野源さん,Superflyさん,高橋真梨子さん,安室奈美恵さん,桑田佳祐さん。

そして,乃木坂46

出場歌手がすごく良かった。

とくに,高橋真梨子さん。本当に素晴らしかった。。。感動した。。。軽く泣いた。。。高橋真梨子さんは,優勝。

 

 

そして,極め付けの,巨大な映像スクリーンとLEDライトによる演出。
NHKだからこそできる,お金のかかった映像技術,ステージ演出,ど派手な衣装。
やっぱりすごい。

こんなにも素晴らしいエンターテインメントを年の瀬に見れて,本当に幸せだなぁと感じた。

「歌合戦なんだから,ちゃんと歌を聞かせろ。」とか,「出場歌手が偏ってる。」などの様々な批判もあろうこととは思うが,ぜひ,この方向で行ってもらいたいな。

やっぱり年の瀬は,紅白歌合戦を観るに限る。

今年も一年,頑張って生きよう。

乃木坂46批判なんかクソくらえ。

まだ興奮がおさまらない。

乃木坂46レコード大賞を受賞するとは。

まず,バックバンドの演奏が素晴らしかったし,メンバーのダンスは最上級に揃っていたし,表情もきまっていて,圧巻だった。言葉にならないくらい,凄かった。

乃木坂46をよく知らない人たちも圧倒されたんじゃないの?

 

他のアーティストさんをどうこう言うつもりは全くないが,やっぱり今年は,乃木坂46の一年だったんじゃないの?名実ともに「インフルエンサー」だったと思う。

乃木坂じゃないほうが良かったと言う人達は,どこが受賞すれば納得したの?

たぶん,誰が受賞しようがずっとそうやって批判し続けるんでしょ?

そんな批判に目を向ける必要性を私は全く感じない。

 

昨年は某クソ週刊誌がレコ大に対する疑惑を誌面に載せ,世間は「レコード大賞は金で買ってる。」と思ったことだろう。

そして今年は,「レコード大賞は乃木坂受賞」といわれるようになってからは出来レースだのなんだのと騒いでいる人たちもいた。だから,私も正直なところ,乃木坂がレコード大賞受賞しても,どうなんだろう?と思ってしまっている節もあったのは否定できない。

 

しかし,あの受賞の様子を見たら,やっぱり純粋に嬉しかった。

「オタクは,理論や理屈を超えるんだな。」

と心から思った笑

外から、あれやこれや言われようが、そんなことはもうどうでもいい。

乃木坂批判なんかクソくらえ。私は,私の審美眼を信じます。

乃木坂ちゃんがレコード大賞受賞を喜んでいたのだから,口パクだのなんだのはもういいじゃないか。乃木坂が好きな皆さんは,批判に目を向けず,ただただ乃木坂ちゃんを応援しようじゃないか。

私も,今は素直に嬉しい。

こんなに素晴らしいものを見させていただいてありがとうございます。

乃木坂46に出会えて良かった。」もう何回言ってるんだろう,このセリフ笑

 

乃木坂46のメンバー,スタッフさん,運営委員長の今野さん,

療養中の北野日奈子さん,今年卒業した橋本奈々未さん,中元日芽香さん,伊藤万理華さん,そして,これまでに卒業していったメンバー,作詞家の秋元さん,その他多くの乃木坂46に関わっている皆さまに心からお祝い,そしてお礼を申し上げます。

来年も,乃木坂46にとって坂を上り続けられる良い一年でありますように,一人の乃木坂オタクとして祈っています。

私は,今日の紅白歌合戦が,とても楽しみでずっとワクワクしています。

オタクってのは,幸せな生き物なんですよ。

あ、言い忘れてたけど、エンドロールの中田花奈さん,圧倒的優勝でした。

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インフルエンサー(TYPE-A)(DVD付)

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  • アーティスト: 乃木坂46
  • 出版社/メーカー: SMR
  • 発売日: 2017/03/22
  • メディア: CD
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「認知的不協和に陥る」とは,つまりどうゆうことか?

認知的不協和
認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。(Wikipediaより引用)

認知的不協和とは、「自分の考え方や行動とは違う,『新しい事実』を突きつけられると,不快な感情を抱くため,自分の考え方や行動と,『新しい事実』のどっちかを否定することで,矛盾を解消しようとする心理」のことを言います。

人は,自分の考え方や行動を変えることが困難な生き物なので,多くの場合,『新しい事実』の方を否定しようとします。

この、矛盾する2つの事実を知ってしまった時に,自分にとって不都合な方の事実を変えようとする心理を「認知的不協和の解消」といいます。

一例を挙げて、考えてみましょう。

人は,ある商品を購入した後,下記2つの認知を抱きます。

・「自分の選択は正しかった」という認知
・「その商品は良い」という認知

上記2つの認知は,協和するということになりますね。

ただ,その後,「その商品はあまり良くない」という『新しい事実』を知ってしまうと,不協和を起こす(認知的不協和に陥る)ことになります。

人は,認知的不協和に陥ると下記のような行動を起こすようになります。

・商品購入後に「その商品は良い物です。」「その商品は優れている。」という情報を積極的に求めるようになる
・「その商品は良くない」という情報を得てしまった時は,「その商品を買った自分の選択は正しかったと証明できる情報を探すようになる

このような認知のゆがみは、つまり、「自分の都合がいいように物事を考えている」「対峙すべき課題から避けている(=現実から目を背けている)」とても不健全な状態です。

あなたは,認知的不協和に陥ってはいませんか?
あなたの周りに,認知的不協和に陥っている人,いませんか?

あなたが,自分の考え方や行動とは違う『新しい事実』のほうが,どう考えても正しいと判断できた場合で,自分の考え方や行動を否定し,『新しい事実』を受け入れて「認知的不協和の解消」ができるような精神状態であるのならば,『新しい事実』を認めることが必要だと思います。

認知的不協和の解消をうまく活用することで,日々を過ごしやすくなります。

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