好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。

思っていることを気兼ねなく、気楽に書き綴る。

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サイレントマジョリティーとノイジーマイノリティの話。

最近はずっとこのことを考えてる気がする、わたしです。

サイレントマジョリティとは、物言わぬ多数派のことで、
ノイジーマイノリティーとは、声高な少数派のことです。

行きかう情報を見ていると、何かにつけて批判したり、叩いたりしている人たちを、よく見かける。
また、そういう人たちが、少しでも問題を起こした人をみつけると、集団で攻撃しているのもよく見る。
でもちゃんと考えてみれば、そうゆう人たちの人数が少数ではないのかなということに気づく。

ドワンゴ会長の川上量生さん曰く、

「いろんな問題を炎上までもっていったりするのは、ヒマなネット原住民」だという。

川上さんの仰る「ネット原住民」とは、
簡単に言えば現実社会に居場所がなく、居場所を求めてネットに移住してきた人たちのことだ。
ネット原住民もとい、現実社会に居場所がないような気質の人は、
「自分が嫌悪感を抱いた、自分の価値観に合わない」を何よりも一番に正しいと、勘違いし、
それに当てはまるようなものがあれば、それに対して攻撃するきらいがある。
往々にしてその声は、少人数ながらも多発的かつ、猛烈的なものであることが多い。
見る人が見ればすぐにわかるような構図なんだけれど、
分からない人はこのノイジーマイノリティーの言動をマジョリティの言動であるかのように勘違いをし、
ビビってしまい、挙句の果て、これに屈している。

企業は謝罪し、テレビ番組は内容を変更し、タレントがブログやSNSでお詫びする。
結果的につけあがったノイジーマイノリティは増えてきてしまっている。
その上、ノイジーマイノリティ予備軍のような人もそこらかしこにいる。
そんな中、ごく一般的なサイレントマジョリティの人は、破壊力のある大きい声を聴くと、
そっちの方が正しいかのような勘違いをしてしまうわけである。

でも、改めてちゃんと考えたい。

声の大きい人を多数派のように勘違いしているに過ぎないのだということを。

本当の多数派というのは何も言わない「サイレントマジョリティ」だということを。

メディアは、ノイジーマイノリティに影響されて、どんどんと自主的に表現の自由を返上していってしまっている。
テレビの自主規制、メディアの萎縮、テレビがつまらなくなったのだって、元をただせばそのことからきている。
また世の中がつまらない、息苦しいと感じるひともいるだろう。
それも、私達が得るメディアの情報に乗っかってくるべきだった「楽しさ」「心地よさ」などが自主規制の網に封じ込められ、それらが欠落したテレビが延々と放送されている。
もう少し世の中が楽しく、呼吸のしやすいものになるためには、
多くのサイレントマジョリティーが、ある程度はメディアリテラシーを身につけて、ノイジーマイノリティの言動に左右されない、情報を見極められる力を持った人間になっていかねばならないだろう。

ロンドンブーツの田村淳さんがTwitter
「怒りの矛先を探す人生より幸せの共有を探す人生にしたい」
というtweetをしていて、つくづくそうだなぁってしみじみ思う今日この頃。

もう少しいろんなことに対して、寛容に生きれないものだろうか。

 

書くにあたって参考にしたもの
欅坂46 サイレントマジョリティ

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