物の片づけに対する価値観と考え方。

価値観
何に価値があると認めるかに関する考え方。
価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となるものの見方。
ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。
Wikipediaより)

人々の抱いている価値観が多様であることは自明の理だ。
こと,「物の片づけに対する価値観」は多岐にわたるうえに生活に直結する価値観である。

すっきりと片付いたほうが良い,物が少ないほうがいい」と考える人もいれば,
物はたくさん持っていたい,物は多ければ多いほうがいい」と考える人もいる。
親子間で物の片づけに対する価値観が大きく異なると悲劇である。

親が必要だと思う物でも,子供にとってはゴミにしかみえない。ということになる。

そうなると子どもは積極的に,親の物の片付けようとするのですが,親に抵抗され,往々にして捨てられず,(捨てさせてもらえず) 片付きません。

そして挙句の果て,喧嘩になる。

「どうせ使わないんでしょ」「どうせ着ないじゃん」「センスが悪い」「古い」「物が多すぎ」「いつか使うっていつ使うのさ?」「なんでこんなものとっておくの!」

 

物の片づけに対する価値観が異なることは,思想的な価値観よりも表面化しやすく問題を起こしやすいのだ。

これはひとえに,子どもが「すっきりと片付いた方が良い,物が少ないほうがいい」という価値観の人が多く,
親は「物はたくさん持っていたい,物は多ければ多いほうがいい」という価値観の人が多いからに他ならない。

 

物の片づけに対する価値観の形成には,時代背景の関与するところが大きい。
親世代は,物不足の中,もったいない文化で育ったことにより,物を捨てることに対しての罪悪感を強く抱きがちであり,
「物をどんどん捨ててしまうと,自分自身のアイデンティティまで失ってしまうのではないか。」と危機感を覚える人もいるそうだ。
また,「余生を今までの人生を振り返りながら思い出のモノに囲まれていたい。」と願う気持ちもそこに介在している。
こうゆうようなことを,念頭に置く必要があるでしょう。

親子間のみならず,兄弟間,親族間,友人間で物に対する価値観においても,同じようなことが言えるでしょう。

趣味の物,好きな物,その人にとって必要な物......

 

まず,物の片付けに対する価値観が違うことを認めることから始めなければなりません。
「すっきりと片付いたほうが良い」と思っても,人の物を勝手に捨ててはいけません。
相手の意思を尊重して物を片付けるということが極めて重要です。
そうゆう過程を経て,「片付いた方が快適に暮らせる」ということを相手に理解してもらえるように努めるべきでしょう。

 

目的は「すっきりと片付けること」ではなく,「片付いたことで快適に暮らす」ということである。
すなわち,「すっきりと片付けること」は「片付いたことで快適に暮らす」という目的を達成するための手段に過ぎないのです。

 

生きる時間に比例して思い出と物が増えていくもの。
しかし,それに引き替え、体力は落ちていく。
片付けるべき時には片付けられなくなっている可能性がある。

 

「物はたくさん持っていたい人」でも,日頃から,「必要な物」「必要でない物」を区別するスキルぐらいはきちんと身につける必要がある。
物の片づけに対する価値観を明確にすることは,日々の生活を良くしていく上でとても大切だ。