ミニマリズムは、一過性じゃない。

昨日、えらてんさんが上げてた動画を見て感じたことをTwitterに書いたら,
ミニマリスト エリサさんにファボ&リプしていただいた。

私自身の備忘録もかねて,ブログにまとめておくことにする。

まず最初にえらてんさんは,
「子どもの教育上,様々な雑多なものがあったほうがいいのでは?」
という話をしていて,これは確かにそうだと思った。
子どものうちは 「マキシマリズムな環境」が,必要だと私も思う。

ミニマリスト エリサさんには,
”絞り込んだ経験のない、ただ単に持ち物が少ない人は「ミニマリスト」ではなく「物が少ない人」でいい”
というお話を聞き,確かにそうだなと納得した。

 …ただ,やはり,ミニマリスト夫婦の家庭に生まれたお子さんは,生まれたときには”既に”「物が少ない環境(ミニマル)」なわけで,
それって,子どもの教育とか考えるとどうなのかな…?って,やっぱり,思わないでもない。ような気もする。。

でも,今回言いたいのはそこじゃなくて,
ミニマリズムミニマリストは一過性ではないよー。
そもそも,流行とかどうとかそうゆう話じゃないから,
廃れるとか,廃れない,とかそうゆうもんじゃないよねー。 ってことです。


マキシマリストからミニマリストになるというのは,

ただ表面的に「物を捨てる」ではなく

「物を絞り込む」という「過程」が大切なのです。
自らの持ち物を自らの手で厳選していく「過程」こそが,
ミニマリズムの本質を理解することにつながりますよねー。という話です。


だから,えらてんさんが言っていた
「子どもの教育上,様々な雑多なものがあったほうがいいのでは?」の指摘は,確かになぁって思ったけど,

ミニマリストは絶対廃れるよ~」みたいなのは,そもそも「ミニマリストは一過性」のものじゃないから前提自体が違うよねーってって感じたという話でした。

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