だいぶ前から,断捨離とかミニマリストが流行っている。
しかし,かく言う私は,全然物が捨てられない人だった。
ただ3年前に,ひょんなことから,
近藤 麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」や,
やました ひでこさんの「新・片づけ術「断捨離」」を読んだ影響で,
物を捨てることの大切さに気付き,
今では,自分の意思でしっかり判断して物を捨てられる人間になった。
物を捨てる,手放すは,その時だけではない。
一生使える技術である。
「物は少ないほうが楽だ。」
断捨離とかミニマリストが流行っているのも理解できるようになった。
正直に言うが,物を捨てること,手放すことについては,
先ほどあげた2人の本を読むのが一番だとは思う。
(特に,近藤 麻理恵さんの『ときめきを使った片付け]の 目からウロコ感は半端ない。)
ただ,全然物が捨てられない人が,
物を捨てることの大切さに気付くための第一歩して,
私が実践している「物を捨てるときの判断基準」を参考にしてもらえればと思う。
1,その物を1年以内に使ったか?
まず,その物を一年以内に使ったかどうか?考えてみてほしい。
その服,1年以内に着た? その本,1年以内に読んだ?
当てはまらないものは捨てる。
2,その物の使う時期・用途・目的は明確か?
「いつか使うから」「捨てるのはもったいないから」と,
使いもしないものを取っておいても意味はない。
いつか使うは,一生こない。
思い切って捨てる。
3,その物を捨てると今の生活に影響が出るか?
今生活するうえで使っていないものは,無くても困らない。
使っていないものを持ち続けていても,
それは,部屋の中,物入れの中に“捨てている”のと同じ。
思い切って捨てる。
4,自分の夢や目標,集中して取り組みたいことにその物は必要か?
自分自身を見つめ直す作業。これが一番大事。
今あなたにとって何が必要で,何が必要ではないか?
必要じゃないものを思い切って捨てることで,
自分が本当に取り組みたいことに集中できるようになる。
ここまでいろいろ書いてきたが,もちろん例外はある。
自分が気に入っているもの,幸せを感じるもの,趣味のものは捨てなくていい。
自分が良いと思う物なら,自信をもって取っておいていい。
ただ,そうではなく惰性で持っているなら捨てよう。ただそれだけのことなのだ。
「物を捨てることはもったいない」「物を大切にしなきゃダメ」と考えてしまうかもしれないが,
使わないものを持ち続けていても,物を大切にしていることにはならないのだ。
このことだけは忘れてはいけない。
物を捨てることで新しいものが見えるようになる。
今一度,買うだけではなく,捨てることにも目を向けてみよう。
めちゃくちゃ楽しかった。笑った。感動した。
2017年に引き続き,本当に素晴らしい紅白だった!
内村さんを総合司会にしたことは,NHKよくやった!!と言いたい。
やっぱり,内村さんすげえよマジで。今年2019年も頼んだ。
星野源扮するおげんさんが「紅白もこれからは性別関係なく混合チームで行けばいい」と発言する場面があったけど,めちゃくちゃ深くないか?
いろんな人がそれぞれ手を取り合っていこうよ!っていうメッセージを
「混合チームで行けばいいじゃん」って言葉でさらっと言えちゃう星野源さん,凄すぎる。。。あたらしい時代が来たっていう感じ。
そして,はんぱない情報量よ。
すごかった。。。すごすぎて,語彙力がどこかにいった。
NHKホールの盛り上がりが,画面から直に伝わってくるほどの臨場感。
見どころしかなかった。
私は乃木坂オタクなので,
帰り道は遠回りしたくなるを披露したときにバナナマンさんが来てくれたときに,むちゃくちゃ嬉しかった!!
DA PUMP,椎名林檎と宮本浩次コラボ,米津玄師,ユーミン,MISIA,サザン・・・
・・・いやー、全部よかったぞ!!!
見てない人マジで損してると思う。
いろいろ言いたいことはあるんだけど,もう書ききれんから書かない。
見てない人はとりあえず見ろ!!NHKオンデマンドで見れるから!!
オタクに優しい紅白だったので,いろんなオタクが楽しめたし,すごいぞ。
ちょっとカメラのスイッチングミスみたいなものもあったようだが,
そんな些末なことはどうでもいい。
いろんなことがどうでも良くなるくらいの多幸感。
ありがとうNHK,ありがとう紅白。みんなに感謝。
国内最高峰の歌番組,紅白歌合戦。
今年2019年もこの感じで頑張ってほしい。
昨年,乃木坂46がレコード大賞を受賞したときの興奮を昨日のことのように思いだす。
…バックバンドの演奏が素晴らしかったし,
…メンバーのダンスは最上級に揃っていたし,
...表情もきまっていて,圧巻だった。言葉にならないくらい,凄かった。
...一部,乃木坂批判も見受けられたが,そんな意見どうでもいいように思えた。
「乃木坂46批判なんかクソくらえ。」というタイトルでブログまで書いた。
乃木坂46批判なんかクソくらえ。 - 好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。
今年のレコ大,乃木坂46はシンクロニシティーを披露した。
バックバンドの演奏は良かったし,メンバーのダンスは綺麗だったし,表情もきまっていた。
安定の乃木坂ちゃん。
しかし,乃木坂オタクである私が,めちゃくちゃ贔屓目に見たとしても,
乃木坂46「シンクロニシティー」とDA PUMP「U.S.A.」では,
DA PUMP「U.S.A.」の方が,世間的に周知されている楽曲だというのは明らかだとおもう。
比較するのも心苦しいが,DA PUMPの方が,バックバンドの演奏と合わさって迫力あったし,圧巻のパフォーマンスだったんじゃないだろうか。
会場全体の空気が「DA PUMPがレコ大!」で,それが画面越しに伝わってきていた。
司会の安住さんや土屋太鳳さんも踊っていたし…。
レコ大観ていた日本国民の大多数も,「DA PUMPがレコ大だなぁ…」と思ったことだろうし,
乃木坂オタクの私でさえ,DA PUMPがレコ大だと思ったし,DA PUMPがレコ大でいいとさえ思った。
私自身,レコ大受賞自体は嬉しいことだとは思った。
乃木坂46のパフォーマンスは,本当に素晴らしかったとは思うし…。
白石麻衣センター,すごく良かったし…。
「乃木坂らしさってこうゆうことだよ。」「乃木坂46ってこうゆうグループだよ。」が,いっぱい詰まってたし…。
CDもすごい売れてるし,めっちゃ人気もあるし…。
でもやっぱり,今年はDA PUMPの「U.S.A.」がレコード大賞を受賞すべきだったと思う。
いや,そうとしか思えない。
乃木坂レコ大が発表された瞬間,
会場の (((うわーー……DA PUMPじゃないんだ………))) って空気が,画面越しに伝わってきたし,
それを見て,冷めてしまった感は否めない。
昨年の乃木坂46のインフルエンサーは,
乃木坂46をよく知らない人も圧倒されたと思うし,大賞に相応しい曲だと思ってたから、本当に純粋に嬉しかった。
私たちの乃木坂ちゃんが,正当に評価されたことが,心の底から嬉しかった。
でも,今年は圧倒的にDA PUMP「U.S.A.」の年だった。
社会現象に近いようなU.S.A.ブームであった。
DA PUMPが受賞できなかった理由として,
『西城秀樹さんの「YOUNG MAN」が「外国人が作曲したカバー曲だから」という理由で、審査対象から外されてしまったということがあったので,
DA PUMPの「U.S.A.」もカバー曲だから無理だったのだ。』
というのを見かけたが,
それならそもそも,DA PUMPの「U.S.A.」を優秀作品賞にも選ぶなよ!!って思うのです。
もし上記の話が本当だとすると,
大賞をあげられない曲をノミネートした審査員各位にはあきれてものも言えない。
『DA PUMPの「U.S.A.」がカバー曲で無理だったから,妥協で乃木坂にした。』みたいなのが真実だったら,ただただ悲しすぎる。
乃木坂46が良く知らない人たちに「金で買った賞」みたいな感じで批判されるかもしれないし,叩かれるかもしれないし,私の大好きな乃木坂メンバーがレコ大について検索したら嫌な悪口読んじゃうかもしれないし…。
そんなこと考えたら,乃木坂のレコ大受賞を素直に喜べなかった。
乃木坂オタクの1人として,非常に複雑な心持ちだ。
後味の悪い感じ。
早く紅白を見て,心を洗浄したい。
私たちは皆,自分という物語の主人公である。
生きるとは,『物語を紡いでいくこと』そのものだ。
物語は,自分の感情の動きについてや,普段の生活では忘れていることを考える機会を与えてくれる。
私自身,何が好きなのか?何が嫌いなのか?何に心を動かされるのか?
という,自分の感情の動きについて見つめ直す機会にもなるし,
また,そもそも,自分自身がどうゆう人間なのか?何がしたいのか?どのように生きていきたいのか?
という,普段の生活ではあまり考えないことを考える機会にもなる。
物語を大きく二つに分けると,「リアルとしての物語(本物)」と,それ以外の「ファンタジーとしての物語(空想)」がある。
私自身,乃木坂46というアイドルが好きだが,
これは,純粋にかわいい子たちが好きというものだけでなく,
『乃木坂46の「リアルとしての物語」が好きだから』という理由だ。
(特に,1期生2期生が築き上げた乃木坂46の“物語”が好き。)
過去ブログ↓
以前,私は,物語を愛する熱狂的アニメオタクだったので,最初に乃木坂46が気になりだしたときに,
その子がなぜアイドルになったのかな?とか,アイドルになってか今日までどんなことがあったのかな?
みたいことがすごく気になり,いろいろ調べていた。そうこうしているうちに,
乃木坂46のことが,そして,推しメンである松村沙友理さんのことが好きになった。
アイドルの物語は,私たちの心を癒すにとどまらず,私自身を見つめ直したり,考えたりする機会を与えてくれる。
その子の人生の選択が,一つでも違っていたらアイドルにならなかった可能性もあるわけだし。
そう思うとつくづく,アイドルがアイドルとしてあり続けることの尊さを感じる。
また,もちろん私は,ファンタジーとしての“物語”も好きである。
乃木坂46の“物語”に出会うまでは,ファンタジーとしての“物語”のおかげで生きてこれた,といっても過言ではない。
辛く苦しいことや悲しいことがあったとき,現実では癒せないことがある。
そんなときに,物語は私たちを励ましてくれる。強くしてくれる。
底抜けに明るい物語には勇気づけられるし,
悲しい話には共感して涙が流れる。
決して,自分自身を見つめ直したり,考えたりが自分ひとりでできないわけではない。
しかし,様々な“物語”との出会いがあることで,他の誰かの物語を知ったことで,
自分の物語が少しでもより良いものになるように紡いでいけたらいいなって,そうゆうふうに思う。
私たちは,自分以外の物語を生きることは出来ないが,他の誰かの物語を知ることはできるんです。
そして,自分の物語が少しでもより良いものになるように紡いでいくこともできるんです。
映画,本,ドラマ,アニメ,ゲーム,アイドル,人々の営み…
私たちは,様々な物語とともに生きている。
昨今は,生きづらい時代だといわれるかもしれないが
そんなときだからこそ,
私たちの心を癒し,私たちの人生に彩を与えてくれる“物語”が求められているのではないか?
「物語が人々の心を癒し,
人々の心を強くする。」
私は,このことを確信している。
皆さんが良い物語と出会えることを祈っています。
おめでとうは言えない。ただただ,悲しい。
欅坂のファースト写真集『21人の未完成』に志田愛佳が参加するって知ってたから,これは復帰も近いだろうと思ってた。
SHOWROOMで「欅坂46ファースト写真集 詳細大発表スペシャル!」をやったときに,
欅坂46運営委員長の今野義雄さんが,[志田愛佳×細居幸次郎]のパネルを出してきて,
誰もが志田愛佳の復帰を期待しただろう。
それが,あまりにもあっけない,発表と卒業。
やりきれない。
わたしは,欅坂46の冠番組「欅って書けない?」を初期から見てるけど,
やっぱり,先陣切って盛り上げてたのは,志田愛佳だったなっていう印象がある。
欅坂のムードメーカー的存在だった志田愛佳の卒業は,欅坂46にとって結構な痛手だろうなぁ。
3年目を迎えてもなお「乃木坂工事中」と比べられ盛り上がりに欠けると言われてしまう「欅って書けない?」に必要なのは斬新な企画でもガヤの技術でも過酷なロケでもなく志田愛佳さんの存在だと思っていました。何より平手友梨奈の隣にいるべきは志田さんだとわがままに願っていました。#志田愛佳卒業
— 安藤 豊 (@ando1yutaka1tvs) November 16, 2018
“「欅って書けない?」に必要なのは斬新な企画でもガヤの技術でも過酷なロケでもなく志田愛佳さんの存在”
“何より平手友梨奈の隣にいるべきは志田さん”
・・・ほんとうに,その通りだと思う。
志田愛佳と平手友梨奈の姉妹のような特別な関係性は,お互いにとって極めて重要だったのではないかと思う。
精神的につらいことも多かっただろうし,アイドルでいることが嫌になったのかもしれないとは思う。
また,週刊誌にいろいろ書かれて,メディアにさらされる恐怖を感じたことだろう。
「一人の女の子としての志田愛佳」の私的な部分が,勝手に晒され,大人の金儲けの道具として使われて,情報社会で一つの玩具として消費されていくっていうのは,純粋にかわいそうだと感じた。
最後のブログがめちゃくちゃ明るい感じだったのは,志田愛佳なりのオタクへの気づかいなのかな。。。
豪快に笑ったり,強気にふるまったりしてるけど,本当は傷つきやすくて繊細でメンバー思いの優しいところが好きでした。
今後の人生が良いものでありますように。。ありがとう、おつかれさま。
21人の欅坂46が,こんなにも早く終わっていくとは,思ってもなかった。
正直,欅坂46の厨二病路線に無理があるっていうのは常々感じる。
先日卒業した今泉佑唯は,たぶん48グループの方が肌に合ったんじゃないだろうか。
入るグループ間違えて残念なことになってしまったっていう感じがする。
アイドルとしての資質は十分すぎるほどに持っていたのに。。
「乃木坂46の妹分」という触れ込みで募集がかかって,入ってみれば「乃木坂とは真逆の厨二病路線」をやらされてんだもん。
「…こんなはずじゃなかった」って思ってるメンバーは,今泉佑唯以外にもいると思う。
メンバーもそうだろうし,オタクだって,明るいアイドルらしい表題曲を求めてる。
まあ,一般層に受けるのが,カッコいい曲だから,サイレントマジョリティーとか不協和音,アンビバレントみたいな感じの路線でいきたいってことは分かる。
でも,本当に求めているのは,そういう反抗的な感じの曲,サイレントマジョリティーのような路線じゃなくて,
二人セゾンみたいな路線だよね。っていう話。
今後を見据えたときに,反抗的な感じの路線でいくことが合っているのかな。
まあでも,絶対的エースの平手友梨奈がいるし,全体的にかわいい路線のひらがなけやきがいるし,そう簡単に路線変更できないね、っていう現実もあり...。
欅坂46は坂を一気に上りすぎた。
もう少し着実に一歩一歩進んでいければよかったのにな。
2016年の欅坂46が一番幸せな感じだった頃に戻りたいかも...。
オワコン(終わったコンテンツ)
主に一般ユーザー又は,個人ユーザーに飽きられてしまい,一時は栄えていたが現在では見捨てられてしまったこと,ブームが去って流行遅れになったこと,および時代に合わなくなった漫画・アニメや商品・サービスを意味するインターネットスラングである。(ウィキペディアより)
だいたいは,同じことの繰り返し,パターン化してくると,もうそのコンテンツの終わりといってもいい。
今回は,コンテンツの終わりを,「アイドルグループが,一つのコンテンツとして終わっていくとはどうゆうことか? 」を例に挙げて,考えてみたいと思う。
このことを考えるうえで,
『コミュニティの一生』という,ひろゆき(西村博之)さんの書き込みから派生したとされるコピペを元にしてみた。
【コミュニティの一生】
面白い人が面白いことをする
↓
面白いから凡人が集まってくる
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる(ニコニコ大百科より)
↑のやつを,アイドルグループの人気と衰退,一つのコンテンツとして終わりに当てはめて,加筆修正してみたのが↓のものである。
【アイドルグループが,一つのコンテンツとして終わるまでの流れ】
アイドルプロデューサーがグループ結成させて,プロデュースする
☟
そのアイドルグループが面白いから,お金を落とすアイドルオタクが集まってくる
☟
より人気になって,アイドルオタク以外の一般人も集まってくる
☟
企業が目をつけだす & アイドル個人の仕事が出てくる & お金を落とすアイドルオタクが居場所を守るために主張し始める
e.g.(企業とのコラボが増えたり,CMが増えたり...,チケット争いとかかな?)
☟{ここらへんからメンバーが卒業しはじめる}→ガチ恋オタは,メンバーの卒業を機にオタクをやめる
面白い人(コアなアイドルオタク,紳士父兄オタの一部)が見切りをつけて居なくなる
e.g.(初期から応援してきたオタク,歌のコールとか,ライブの盛り上げ方等々の“アイドルグループを取り巻く雰囲気”をつくってきたオタク)
☟{この間にもメンバーが卒業}→ガチ恋オタは,メンバーの卒業を機にオタクをやめる
アイドルの個人の仕事が増える,アイドルの運営,企業,厄介なピンチケオタ&一般大衆が面白くないことをする
e.g.(似たような曲ばかりになる。番組,企画,ライブ,握手会がつまらない。ライブや握手会の厄介オタクが悪目立ち。一般大衆が話題にする。)
☟{この間にもメンバーが卒業,初期メンバーがほとんど卒業済み}→ガチ恋オタは,メンバーの卒業を機にオタクをやめる
アイドルグループにお金を落とすオタクがいなくなる
☟→ガチ恋オタは,メンバーの卒業を機にオタクをやめる
衰退してつまらなくなり,皆居なくなる
たぶん,↑ こうゆう感じだろう。
一応,私の思うアイドルオタク分類の記事のリンクも載せておく
一人のアイドルオタクとして考えてみれば,
「そのアイドルが面白いから__。」辺りから,
「企業が目をつけだす __。」直前までが,めちゃくちゃ面白いところだと思う。
その時期にそのアイドルを応援できれば,さぞ楽しいことだろう。
「企業が目をつけだす & お金を落とすアイドルオタクが居場所を守るために主張し始める」から
面白い人(コアなアイドルオタク,紳士父兄オタの一部)が見切りをつけて居なくなるまでが,たぶんそのアイドルグループ全盛期目前または全盛期と言われる期間。
「アイドルの個人の仕事が増える,アイドルの運営,企業,厄介なピンチケオタ&一般大衆が面白くないことをする」は,一見全盛期に見えるんだけど,もう衰退しかけている期間。
終わりの始まりといってもいい。
ここになりかけてる,なっていると「オワコン」と言われるのかもしれない
「アイドルグループにお金を落とすオタクがいなくなる」ときにはもう完全に下り坂。
完全なるオワコン。
アイドルグループは,世代交代が非常に難しい。初期メンバーが卒業していくときにオワコン化への流れが加速していくのは,どうしようもないことである。
皆居なくなったときには,もう終わり。
...そしてこれは,二次元コンテンツでも言えるのではということで...↓
【一つの二次元コンテンツが,コンテンツとして終わるまでの流れ】
オタクがジャンルを作る
☟
人気になって人増える
☟
企業が目をつける
☟
一般人が増える
☟
オタクが離れて衰退する
・・・まあ,こんな感じ。
一つの二次元コンテンツが,コンテンツとして終わるまでの流れを調べてみたら,やらおんにも同じようなの載ってたね。
そんな感じで,
コンテンツの終わり。オワコンとは何か。について,『コミュニティの一生』というコピペを参考にしながら一連の流れを考えて書き起こしてみた。
皆さんの思考の一助になれば幸いである。